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■大和からデザインを考える NDA創立10周年記念誌より

■いま、なぜ、奈良から発信するのか。
対談 千田 稔 ・ 松田 豊  司会:横井紘一
「もっと間抜けたデザインがあってもよい。」

 
横井: 今日の大きなテーマ、「大和からデザインを考える」、どうなりますか。
話を進めてみたいと思います。なぜ、このテーマをとりあげたかということからはじめます。昨今、日本的でザインルネッサンスといわれています。私なりにその背景みたいなことを考えてみました。ひとつは、大量生産、大量消費によるデザインの均一化。次に、戦後のアメリカ型マーケティング指向でアイデンティティ、国民性といったものをもとめているのではないかといったことです。特に今、国際化が進んでいくなかで・・・。そうゆう反動といいますか、反省から日本的デザインがいわれているのではないかと思うのですが。松田さんはデザインの現場に長い間いらっしゃいますが、どうご覧になっていますか。
松田: 最近特に問題になってますのは資源問題ですね。価値の持続をどうはかるか、いままで価値の消費をあおって、デザインの消費があった。そういうことに対してデザインが力を貸してきた。それでは何も問題が解決しないわけで。できるだけその価値の持続時間の長いものを提案しなければなりませんが、そのためにデザインはどんな貢献ができるのか、基本的な問題意識としてあります。私はもともと合繊メーカーにいて、石油化学とファッションビジネスの領域で仕事をさせていただいた。
このままなら大変な問題になると過去20年近くひとつの課題として思ってきた。
いままでの我々の健康な地球生活というものをどういうふうにとりもどせるか、それにデザインがどんな貢献ができるのかを考えなければならないと思ってるわけです。
なりゆきにまかせてはいけないでしょう。
横井: 資源を極力使わずに価値の高いものを作るという・・・。
松田: 日本はもともと少ない資源を生かして価値の持続をどう実現したのか、徹底した職人技がある答えを出していたのではないか。モノは加工に費やした時間とかけた労力とその質に比例して価値が持続すると思っているのです。
千田: ただ、現状の、文化のステージというか、段階があるわけですね。過去、我々が非常に尊重してきた日本的でザインにもどれるかどうか、ですね、難しいのは、文化というものは逆戻りできない宿命を持っている。そのことを念頭にいれておかないと机上の空論みたいになってしまう。例えば、大量生産と大量消費ということも、資本主義は生産と消費の関係があって成立するわけですね。なんのために生産するのか、需要があるからである。なぜ需要があるか、その生産されたものが必要であるから需要がある。そういう枠組みのなかでもう少し、話をきちんと秩序づけていくなら、価値の持続は不可能でないかもしれない。つまり必用なものだけを買う、消費者がもう少し賢くなって・・・。しかしその資本主義的なパターンも、私はもう完全に崩れているのではないかと。つまり生産はなんのためになされているかというと、これは生産する側の企業とかの経営の論理ではなく、その企業のなかにいる、科学者とかモノを作る人々の、モノをつくりたいという非常に精神的な欲望が今、むしろあるのではないか、何か新しいモノをつくりたいという。なにか世間に対してアピールするモノをつくろうという。その欲望が経営者の論理と当然結びついたとき、それは生産をしようではないかというところへ行くわけです。今度は、それがなぜ、消費者との問題に結びつくかというと、必要であるから買おうというものではなくて、もっと精神的にですね、面白いもの、これあったら面白いではないか、楽しもうではないかという非常に娯楽性というか、人生に対するですね、悪い意味での娯楽性、あるいは贅沢性鵞あってできあがっている。モノをつくる側の、モノをつくることの欲望と、モノを買うほうのもっともっと面白いものを買いたいという欲望と、欲望と欲望の図式関係が旧来の資本主義を打ち破ってしまった。人間の本性というか、欲みたいなものが経済を左右する。
するとデザイナーは手助けをするというか、それをあとからサポートする役割になっている。そんなところに今の日本経済の不況の原因もあると僕は思ってるんですよ。
いままでの経済学的な、ヨーロッパ的な経済学的な理論ではとても今日の経済的問題というのは解決できない。やっぱり僕は東洋的な問題に回帰していかなくてはいけないんじゃないか。で、いちばん端的なのがですね、日本で実に多くの人が言う般若心経の色即是空、空即是色なんですね。モノというのは非常に虚しいものである。虚しいものであるけれども、モノというのはやっぱり認めなければならないという、ものに対する東洋的な見方というものを導入していったときに僕は価値の持続ってのはできるかもしれないと。そして虚しいものに対してデザイナーがどんなデザインをするのか。モノは虚しいと思ったときデザインがどう変わるのか、楽しみなんです。
モノというものは虚しいんだという、そういう哲学をもってきたときにデザインってのは革命を起すのではないかと。そんな感じがしている。
横井: 今東洋哲学の導入のことをいわれたのですが、日本的デザイン、あるいはデザインという言葉が難しければですね、日本文化でもいい、あるいは日本的芸術でもいいと思いますが、それとはどういうものだと思われますか。
千田: 日本文化、芸術を考える時に日本が錯覚したことがひとつあります。それは日本のおかれた風土性、気候と考えてもらっていいのですが。日本が導入した西ヨーロッパの風土性が同じものであるという誤解がある。つまり日本は温帯であるという誤解がある。
学生のころ、ドイツから植物学者がきましてね、植物学はご存じのように気候と非常に密接な関係がある、日本を温帯と分類するのはおかしいと。特に西日本は。これは亜熱帯というべきだと。我々は亜熱帯というと沖縄県あたりを考えるわけですが、植物からみると西日本は亜熱帯ではないかといったことを覚えているんです。特に西日本には確かにクスなんて育ちますでしょう。ヨーロッパでクスは育たないわけですね。
そうしますとね、日本的な文化、デザインといいますか、これは僕の以前からの持論ですが、温帯の文化というのは、つまり西ヨーロッパ型の文化、西ヨーロッパ型のデザインというのはきちっとした整ったデザインなんですよ。つまり秩序あるデザイン。
亜熱帯のデザインにはとこか抜け道があるんですよ。例えば、靴と下駄を比較してみましょう。下駄はほとんど外気に接していて、鼻緒があるだけでしょ。靴は足をほとんど隠しているわけです。洋服でもボタンをつけて、ネクタイまでしめて、きちっとせないかんわけですからね。日本の場合、きものは帯1本でしめる。あとは開放的ですよね。
どこか抜けとるんですよ。日本の文化は完璧に開放的ではないけれど、どっか抜け穴をもっておる。大江健三郎さんの言葉をかりれば「いささか、あいまい」な文化であるんですね。日本のデザインのそれはいい面であったかもしれないけれど、ヨーロッパという温帯で育った、きちっとしたデザインをしきりと模倣しだした。日本の風土には本来あわない。どっか”間抜け”たものが必用なんです。だからその間抜けのデザインというものを考えていただいたら、僕らはもっと楽しく愉快に過ごせるんですけど・・・。
最近のデザイナーはえらくきちっとしてはりまして、ああ、しんどいなーってデザインが多い。(笑)
横井: この間、奈良国立博物館の坂田工芸室長と話す機会があって、日本文化は仏教が飛鳥に伝来してできた朱の文化やと。例えば鳥居の朱ですね。それに実はもう一つある。
伊勢神宮、伊勢の素木の文化が、とおっしゃっていた。日本は素木の文化、生成りの文化を持っていた。この文化と朱の仏教文化が入り交じった。仏教だけとはいわない、ずーと遠い遠いシルクロードの果ての西洋の文化だって、私自身は朱の文化やと思いますけど、朱の文化と生成りの文化の二つが交互に交じり合い、あるいは反発しながらいままできた。ここにきて朱の文化の典型である、ここ100年明治以降の西洋文化が入ってきた。
もう一度、生成りの文化に戻らなくてはいけないのではないか。そういうことを実は、坂田さんが指摘した。私はさっきの話に戻りますが、そうなるとほんとうに「大和」が原点なのか、という気がしてくるんですが。そのへんはどうなんでしょう。
千田: 伊勢神宮、生成りの文化というものは、あきらかに色彩を加えていないということですね。これどこに原点があるかというとヨーロッパの言葉でいうとアニミズムですね。つまり植物には精霊が宿っている。精霊の宿っている植物、動物でもそうですけど、それに人為的な手を加えると精霊に対して非常に危害を加える。結局はしっぺ返しがくる。自然のままということは精霊を祀る意味があったわけです。日本のアニミズムの文化と非常に関係がある。ただそれが、今ご質問があったように「大和」でできたものかどうかは、これはたいへん難しいわけで、最近でも青森で縄文時代の三内丸山遺跡から巨大な柱からなる遺構がでてきましたが、木に対する信仰は日本の縄文時代のなかでは確実にあったと考えていいと思います。じゃ、その木の文化は日本的なものであるかというと、これは必ずしもそうじやなくて、ヨーロッパにもあるわけですよね。例えば5月のメイフラワーでは収穫の祝祭の木ですがキリストの十字架だって木で作るわけですから。木の文化そのものが日本的というより、世界的文化の基盤のなかにあるものだと思います。ただ、手を加えない文化、生成りの文化は、日本文化の要素のなかでも、かなり意味のあるものだと僕は思います。
松田: 傾聴すべきご指摘です。『神』に対して『人間』は愚かであるとの庶民の視点で考えると別の側面から本質が見えてくる。今いえることはデザイナーの意図が表から見えないほうがよい。
もっと自然でもっとさりげない優しいもののはずなんです。
横井: 日本的デザインの起点が「伊勢」か「大和」か。仮に「大和」だと仮定したとします。ある時代、「大和」は国づくりのプロデュースの中心だった、どんな影響があったと考えられますか。
千田: 話を非常に単純化してしまえば、古代文化というものが「大和」を中心に栄えるわけですから、それが全国に広がっていくと考えれば、例えば寺院建築とか仏像とかいろんなものを挙げることができるんですね、それはただし非常に常識的な見方です。寺院建築にしたって中国・朝鮮半島から渡ってきたもので、「大和」は発信基地というより中継基地の役割をしているだけなんですね。その認識をしっかりしておかないと。デザインのことに限らず、なんでも文化は「大和」から発信した発信したというけれど中継基地にすぎないわけで、私は別にナショナリストではないですけれどね。そのことをよく知っておいたほうがいい。つまり中継基地になる以前の「大和」、中国や朝鮮半島から文化を受け入れる以前の「大和」に何があったのか。
それが全国に独特の文化を発信できたのかという鉱脈を探り当てる作業がいると思うんですよ。観光地としての「大和」をいうんなら、東大寺もありますよで済むことですけれど・・・。こんなことなら誰も感動もしないでしょ、当たり前やないかと。
その当たり前をもうちょっと突き破って考えるべきだという気がするんですよ。
横井: その鉱脈ってなんですか。中継基地になる以前の問題ですよね・・・。
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「大和」の色は、「あおによし」の青。
          神々の住む「まほろば」の青

 
千田: 縄文式土器を非常に好きな人がいるんですよね。絵のほうでは例えば岡本太郎さん、縄文のあのエネルギーを見なさいとね、当時の人々の意気込みがあそこにでている、燃えるようなデザインですよと言うわけですよね。日本文化の原点だと・・・。しかし、縄文の前に旧石器時代が日本にあったわけですから、縄文だけをいうのはおかしい。あの縄文の、特に東日本、まして信州、長野県あたりの紋様は複雑怪奇で、デザインからいえばおどおどしたデザインですよね。
渦巻きはいっぱいあるし、蛇はうようよいるし。ところがこれが西日本の縄文の土器にくると、あっさりしてるんですね、もっと、こう、単純化されています。その違いにむしろ注目しないとね、日本の文化が縄文文化だというのは言い過ぎであって、あれは東日本の、特に寒冷地の、自然条件の悪いところで、その自然条件に何かレジスタンスしなければいけないところから生まれてきた、人間の自然に対する抵抗感から生まれてきたエネルギーがあの土器のデザインだと思うのです。しかし、西日本のイメージというのは削り削ったところね。それを洗練された文化と言うのかどうかは知りませんが、風土がおだやかであるから、あまり肩肘はったデザインはでてこない。で大和にかえりますと、今いったように仏教寺院であるとか、天皇の宮殿であるとかですね、あるいはそれに伴う仏像とかは明らかにデザインですよね。そういうものを「大和」から各地に発信した事実はこれはもう、当然であるわけです。その奥に何があるかということを考えてみると、文学者たちは間違いだというかも知れませんが、たいへん有名な歌でヤマトタケルの国のまほろばの歌がありますよね。
「大和は国のまほろば、たたなづく青垣、山こもれる大和し、うるわし」このキーワードは何か。もちろん<まほろば>がキーワードなんですけれども、ま・ほ・ろ・ば・のなかで意味があるのは、「ほ」だけなんです。マは接頭語、ロとバは接尾語。ホは秀でて抜きんでたもののことをいっています。では、なぜ優れているのか。あの青垣をめぐらしているというとき、これは色の問題に入るわけですが、僕はこの「青」に意味があると考えるんです、ブルーに。現在の色でいうグリーンかブルーかはよくわかりませんが。ま、グリーンに近い色を考えたらいいと思いますが。
--あおによし-- 奈良の枕詞として、ここにも青がある。まほろばの青と、青によしの枕詞の青を共通の概念でくくろうという非常に大胆な試みをいま考えています。
横井: なるほど。
千田: これは、ウイスキーを飲まないとできない話ですが、、、(笑い)、半分はまじめに考えています。青というのは中国の五行思想では、東のことをさすのですが、青はまた神のいるところを表わすんです。あの、沖縄の民族信仰で、神さんのいるところ、あるいは死んだ人のいくところをニライカナイという。そのあたりの方向をさして、沖縄の人はアフという。アフというのは青のこと、ブルーのことなんです。それと三重県に青山というところがあります、奈良にも青山団地ができましたし、それから東京にも青山墓地おもしろい例で、なぜ青山墓地ができたかというと、あれは死者のいるところ、青は死者のいるところ、で、そこは同時に神々のいるところでもある。亡くなった後、神々の世界に行くから青。だから、青というのは非常に大事な色、というか神々の色。神々のいる場所という、そういう意味を含んだ色なんです。死は神々の世界に仲間入りすることなんですね。で、「あおによし」の青はどんな色かということですけれど、青丹の「丹」は赤色ではないんです。あれはむしろ青い土の色が原点なんですよ。
青土の色。青い土のあるところが、奈良の都で神々の住んでいるところと考えられていたのではないか。古代、ここに都を定めようとしたときにかなり神がかった人間がいないとできないと思うんですよ。現代の都市計画家のように、ここの土地が安い、風通しがいい、そんな問題じゃない。神がかりの人間が ここだ!ここしかない、ここがいいんだ!といったことが必用だったと思うんですよ。「大和」にしようと思った原点はね、神々の世界というものに非常に近いところにあるある青い場所であったという意識があったと。その時の神々とは何か。明らかに自然です。生成り文化が「大和」で生まれたかどうかは知らないけれども、神々に近いという思想というものを反映している。非常に大和的な風土に良く似合う表現だといえると思います。
横井: 堺屋太一氏がいってる遷都論に奈良も手をあげましたが、、、。ある意味ではあたっているかもしれませんが、多分来ないでしょう。(笑)大和が神に近いところなら、我々は神々に近いデザイナーになるわけですね。(笑)色彩の専門からいって松田さん、「大和」の色をどう思っていますか。やっぱり、青ですね。奈良には緑が多い。緑は霞がかかると青になります。これは千田先生のご専門ですが、色彩デザインでは青丹よしの丹は土で、よしは間投詞。青黒い土で染料や絵の具に用いた岩緑青の古名のことで、京の聚楽土のように実際に産出したのか、単なる伝説かは定かではないようですが、その青丹を馴熟することから奈良の枕詞になったときいています。衣服で青丹というと濃い青色に黄を加えた染めをいい、それを二枚重ねたかさねの色目をいいます。また樹木が豊で大気が湿っぽくて霧がたつと周囲の山々が青く霞む。遠近が青色の濃淡であらわれる。青は空の青であり神々のいる世界を意味すると思います。丹は土のことをいいましたが、関西は赤土のため青緑と赤の二色を指すこともあり針葉樹の緑と紅葉の赤に映える様をいいあらわしたとも解釈できるのではないでしょうか。それと「大和」の発酵文化に注目したい。いろんな植物を発酵させて染料にしています。弱アルカリ性でマムシや虫を寄せつけないので最も普及したのが藍です。たから青。
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直線より曲線が好きな感性と「さんぐり」の文化
 
横井: 私は、お話を聞いていて、色だけでは解決しないのではないかと。形が大事。三輪山のあの曲線、あのカーブがくせもんやなと思ったんです。
千田: ええ、そうですね。
確かに日本人の感性として、デザインに対する感性として直線より曲線が好きな民族だと思うんですよ。これも、あの、先程の亜熱帯文化論じゃないですけれどね、あまりきちっとしたことはかなわんわけです。日本人としては。少し、どっかにゆとりのあるものが好き。それを形でいえば曲線ですね。きれいな円よりも、もう少し不規則な曲線が好きな民族です。曲線が好きな文化であるところへね、中国から直線文化がどっと入るわけですよね。
横井: あれ中国の直線ですか。
千田: だってね、中国の寺院建築とか、そら曲線もありますけれど、基本的には直線の文化ですよ。水田を区画するね、日本でいえば、条里制。都は条坊制でしょ。
きちっとした格子状の文化をもっている。日本人はあんなもんかなわんかったと思うんですよ。本当は。当時もエリートはハイカラなもんはええもんやと、一生懸命真似をするんですよ。例えば奈良盆地には、非常にやさいし曲線の山が四方にあるわけでしょ。先程おっしゃった三輪山とかね。そこにあの直線をビュンともってくる、僕は風景としてあわなかったと思う。さらに明治以降のヨーロッパ文化がはいってきた。それもやはり幾何学的な、直線てきなもの。中国的なものがあったから、うまーくのれた。そこの接合に抵抗がなかったんだろうと思う。そうすると、日本的なものは日本庭園にしかのこらへん。残ったのは、日本庭園のなかでやっとこさ、ごにゃぐにゃに、何か曖昧模糊とした風景にした。
松田: 衣服でいえば、ヨーロッパは曲面の文化だと思う。ヨーロッパの場合、意識してつくったものは別として、動いた時以外洋服に皺や引きつれはあってはならないものでしょう。昔のオートクチュールの服は殻のなかに人間の体をはめ込むような、どこかが引きつってるとそれは仕立てが悪い。布自身も曲面が作りやすい構造になっている。日本は平面の文化。奈良晒しを始め和服地はいかに平面を平面を保持するかのつくりになっていて、平面の布を皺を肯定して帯一本で締めて曲面の体に着せる。ルーズが適応性を高めています。
皺がよっても平らにして置けば元にもどる。奈良晒しの着物はは布地の張りで体から離れて通気性がよい。体に密着しても靱皮繊維だからあせを吸い上げるのでひんやりする。重ね着をすると空気の層でけっこう温かい。
亜熱帯モンスーン地方で着るには実にエコロジカルです。奈良に住んでみると風土の豊かさというか、農業生産性が高いのが実感できるからあくせくしないですむ。世界一の大きな木造建築や、最古の木造建築物があるもの、この風土に由来するでしょう。
千田: 面でね、なるほど。
横井: さっきおっしゃった。”あいまい”ですか。
松田: そのあいまい性がカバー率をあげるというか、誰が着てもちゃんと着れる。
横井: そのへんでも証明されている、さっきの”きっちり”と”あいまい”が。
千田: あいまいさは、考え方ではヨーロッパ的な合理性よりものすごう難しいかも知れない。わだとあいまいにしなければいけないというプレッシャーがかかるかも知れませんね。
松田: 思考がすごく融通無碍なんですね。
千田: そうなんです、融通無碍。
横井: ファジーですね。
千田: 私はきもののことはしりませんが、きものの着付けでもどっかにちょっと、崩しておくという、そういうね、美意識が基本にあるんやないかと思うんです。
松田: 着慣れた人ほど”ざんぐり”着る。
千田: そうそう”ざんぐり”の文化ですね。これはやはり西日本の文化ですね、
特に関西人は、”ええかっこ”したらいかん。ええかっこすることをすごく嫌うでしょ。ええかっこせんとおしゃれをせぇと、これはものすごく難しい文化ですね。
ヨーロッパ文化より優れた文化やと思いますよ。
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神々の宿る「大和」から発言し、普遍性を見いだす作業を。
 
横井: 最後にちょっとね、気にかかっていることがありましてね、それでしめたいと。何ヶ月かにわたってわれわれが話してきた、ひっかかる最後の問題なんですが、今千田先生がおっしゃった、神々に近い場でものを考え、そういう風土に近い場で暮らしているわけです。「大和」自体、デザイン文化を形づくる文化がそこにあって、「大和」から発信できるのだろか、「大和」から日本的デザインを復興させることは可能なのか、そこから「大和」の知恵の集積をパーンと打ち上げられるのか。あるいは、「大和」でたまたまこういうことをしゃべってんのやというのか。いったいどっちやねん、という話がたえず起こるわけです。
千田: 古代というのは、僕はあまり、、、。例えば飛鳥時代とか奈良時代とかに、文化の原点を求めて発信したところで非常に月並みなね、ふんふんそんなものかと思われるだけ。三輪山とか、葛城山とか、まさに神が宿っていた山々にかこまれた場所。その神々が自然であるならば、自然というものをデザインのなかでふんだんに取り入れる、そして、それは「大和」にしかできないんだということを、むしろ強く発信したら、それなりに説得力があるのではないか。でいままでの発言の仕方というのは、平城京とかね、そういう時点の発言だった。そうじゃなくて、もっと、根元的な世界あるのだと。僕はデザインのことは専門ではないんですけれど、やっぱり、デザインも自然からの発想だと思うんですよ。イスラムの紋様というのは、すごい幾何学的ですよね。自然の力とか風土との戦いが非常に強い、そういうところでは、ああいうきつい紋様、デザインがでてくる。「大和」の文化ってのは、やわらかい。神々の恩寵を受けているのではないかと思います。
横井: それです、なぜ「大和」から発信するのか。
松田: 「大和」に何があるかでなくて、「大和」からものを言うことに意味があると私はそうおもってます。
千田: 「大和」から言う---でいいんです。さっきもいったようにね、ただ平城京とか東大寺とか興福寺とか、そういうものだけを素材として発信してはあかんと。
横井: 歴史的遺産だけではあかんと
千田: そんなものは、中国から、朝鮮半島からの文化の中継基地にしかならない。
もっと原点を掘り起こさないといかん。
松田: それともう一つ。デザインは何かに対して普遍的な概念を形にしていこうという文化だと思う。ローカリティだけにとらわれてはいけないと。民族性、独自性や特異性とかは各国がもっているわけですよね。普遍性をどう持ちえるかが、現代のデザインだと思う。
文明は技術文化だと思うわけでリターン・ツゥ・ネイチャーだけでは説得性がないのではと思うんです。
千田: それは機械文明というか、あるいは今はもう情報文明の時代に入ってるわけですよね。で、それ自身、普遍性をもってるわけですけれども、生まれてくるものはね、最初から普遍性をもって生まれてくるものってないと僕は思うんですね。
すべてローカリティーはね、非常に局部的な場所から生まれてきたもの、それが普遍性をもっていくわけです。「大和」の片隅で、三輪山の山奥でじっと考えることによって、非常に小さな場所で、ローカルな場所でできあがったデザインというものが人類の精神文化のなかでどっかこの突き刺すものがあったら、それが普遍性であると。「大和」は神々に近い世界であるし、僕は神々というのは実在するか、しないかの問題ではなくして自然というものを仮に神々であるとするならば、自然そのものを神々としてみてきた長い歴史的な伝統というものは「大和」であろうと。その「大和」から普遍性を見いだす作業ということがあれば、これは、東京に発信できます。あるいはニューヨークに発信すつこともできます。そのとき普遍性をもつだろうと。普遍性とはそういう意味だろうと僕は思うんですね。
松田: ローカリティーの問題は行き着くところ同じだが、ルートは二つあって一つは風俗習慣と地域生活に対応する結果に生じる特性で、規範としてあるものと、開放の結果に形作られたものとあるといえるのではないでしょうか。
今ローカリティーにとらわれてはいけないと言いましたが、その側面と徹底的にローカリティーを問う両面がある。普遍性と同時に必然性が求められるからでしょか。
横井: 「大和」から発信することの意味について今、お聞きしました。その裏付けとして神々の、「大和」のという考え方なんですけれども、先程の話にあった中継基地としての「大和」、これに非常に意味があると思うんです。異文化と交流して、なんか違うものと、違う情報をね、重ねあわせたときに初めてオリジナリティーが生まれる。
最初はなんでも創造って模倣ですよ、そういうふうにいつも私は思ってるわけですけど。
松田: そういう意味で仏教文化が伝来したときに、非常に「大和」が栄えましたね。
すごいエネルギーだったと。これもやっぱり日本の原点だと思う。
欧米のデザイン思想で一世紀以上生活してきたが、このへんで日本的生活の原点に戻りたい。自然の健康的な生活を取り戻す、その考え方が「大和」に見つけられるのではないでしょうか。東洋哲学の大きな力を見直すきっかけにしたいのです。
横井: 「大和」から発信することは可能やと。今日は安心して帰れます。
ありがとうございました。
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